ウクレレに特化したページを開設

先週の週末にウクレレに特化したブログを開設してみました。

自分が実際に手にとって使ってみたウクレレウクレレの楽譜、教本、またお役立ちサイトなどを紹介しています。よかったら覗いてみてください。


ウクレレ・フレットボード」
http://ukulelefret.blogspot.com/

バージニア工科大:惨劇の兆候と周到な準備

調査が進むにつれ、2005年頃から学校も地元の警察もチョ・スンヒの異常行動を認識していたことがわかってきた。ここまで事前に兆候があり、その報告を受けながらも具体的な措置をとらなかった大学や警察に批判の声が上がりつつある。

今まで拾い読みした中でも:

  • 精神的に不安定なためカウンセリングを受けるよう教授陣から指導を受けていた
  • 女性を2度に渡りストーカーし通報された
  • その後精神病院に一時的に強制入院した
  • 英文学の授業では、自己紹介の際に黙ったままで、名簿に名前を書かず、クエスチョンマークを書いただけだった。学生らも「クエスチョンマークキッド」と呼んでいた。
  • 講義中に教室内の女学生の写真を机の下から撮影した
  • 詩や脚本などの創作の講義で不気味な書くなど不安定な精神状態を示す兆候がみられた
  • あまりの気味悪さに講義時間に彼が入って来たら多くの学生が席を避けた。70人にクラスに7人の生徒しか出席しないほど気味悪がられていたという。

この間、特に英文学の教授らは彼が破壊的な行動をとったり、あるいは適切な治療が受けられるよう、何度となく学校側に報告を続けていたことが明らかになった。特に一人の教授は親身になって個人授業を行い悩みを聞いてあげようと勤めたらしい。ルームメイトらもストーカー行為を警察に通報するなどしており、警察も大学側も十二分に報告されていたことが分かった。

このチョ・スンヒという青年は自分を止めてほしかったのはないだろうか...

何が彼に決意させたのかは分からないが、彼は1ヶ月ほどかけて用意周到に準備したようである。銃器を購入し、射撃を練習し、ホテルに宿泊して犯行声明のビデオを作成し,,,, そして虐殺に至った。

バージニア工科大乱射事件:犯行声明のビデオ

この事件の今日あたりから学校の責任を問うような方向で流れていくように思われたが、なんと今日になり犯人からの犯行声明のビデオと写真がCBS に届いた事でアメリカの報道は犯人の異常性、また動機の解明に一気に流れている。ビデオはアメリカのニュースサイトでどこでも見れる。

CBS:(一部抜粋のみ)
http://www.cbsnews.com/stories/2007/04/18/virginiatechshooting/main2697827.shtml

CNN:(ほぼ全文)
http://www.cnn.com/video/player/player.html?url=/video/us/2007/04/18/sot.nbc.cho.speaks.nbc

Yahoo News:(一部抜粋のみ)
http://cosmos.bcst.yahoo.com/up/player/popup/?rn=49750&cl=2432995&ch=68276&src=news

この犯行ビデオが凄まじくおぞましい。もしかしたらかなり酷い差別やイジメが遭ったのかもしれないとも考えれなくもないのだが、アメリカの教育機関はイジメや校内暴力に非常に敏感なので、もし仮にそういったことがあったとしても、学校に訴え出れば容易く阻止できたはずである。従って表立った直接的なイジメがあったとは極めて考えにくい。

犯人はビデオの冒頭で「その時が来たのでやったんだ。やならければならなかった。こんなことをしなくてもいいはずだ。去ることもできた。でもだめだ。もう逃げない。」と決意のようなことを言っている。

そして自分をキリストに重ね合わせ「俺はキリストのように死ぬ。何世代にも渡る、自分を守る術を持たない、弱き者たちを勇気付けるために。」といった内容のことを喋っている。な、なんだんだ。

中盤は「お前らは唾をかけられたり、ゴミを飲まされたりする気持ちがわかるかい?お前らは自分の墓を掘る気持ちがわかるかい?」といった感じの恨み節なのだが、聞いているとだんだんキリストの受難の話とゴッチャになっており、別に現実に遭った話、という訳ではないようだ。

そしてビデオは裕福な「お前ら」への恨み節で締めくくられるのだが、なんだが「被害者根性」満載で気味が悪い。自分の異常性を他人のせいにして正当化している感じ。全文を読みたい人はWIRED.COM にあります。

http://blog.wired.com/27bstroke6/2007/04/chos_madness_je.html


俺自身東部にある白人が大多数を占めるような中西部の大学を卒業したので、あの独特な孤独感や疎外感は分からなくもない。差別も確かにあった。そして田舎者で金持ちのくせに不明不満ばかり言って、金の使い方だけは一丁前って感じの連中が沢山いた。でもそれらのことはいい社会勉強だった。

この犯人はつまるところ頭が異常になって自分を追いつめてしまったんだろう。犯人は高校、大学を通じて一緒にご飯を食べる相手さえいなかったそうなので、間接的にはかなり長い間イジメられていたのかも知れないとは思う。あるいはそれは個人的な性格の問題だったのかもしれない。

仮にこの犯人に同情の余地があったとしても、大量殺人を正当化することはできはしない。虐殺の準備をするぐらいなら他にやることがあっただろうに。



アメリカの銃規制論議

バージニア工科大の銃乱射事件の犯人の身元が分かった所で、アメリカのネット上の次の話題は銃規制と学校のセキュリティをどうするか、といったあたりに移行しつつある。

アメリカで銃規制論議が起きるたびに同じ議論が繰り返される。今回も同じ流れのようだ。反対派の言い分はおおよそ次の3つ集約される。

- Guns don't kill. People do
まあ「悪いのは銃ではなく人だ」という議論である。これは実に事の本質を突いているのでなかなかひっくり返しにくい議論なのだ。そしていつも自動車が引き合いに出される。車だって危険じゃないか?ひき逃げがあれば悪いのは運転手で車じゃない、というわけだ。

だが車の運転には免許が必要であり、アルコールや麻薬の影響下にある人、あるいは視力や聴力が基準に満たない人は運転が許可されない。しかも車には移動手段の提供という目的があるが、銃には殺傷以外これといった目的がない。銃器の取得、使用には何らかの免許制のようなものがあって然るべきであろう。

- 2nd Amendment
「銃の所持は憲法で保証されている」という議論である。これはアメリカ政府が人々の権利を侵害したときに、人々は銃を手に取って政府を相手に闘う権利がある、とった趣旨なのである。

だが日本でも憲法論議が長い間タブーであったように、アメリカの建国の父たちが制定した憲法の改訂論議は盛り上がらないのだ。

この憲法の趣旨に基づいて銃器が使用されるような状況が果たして現代のアメリカで起こりうるのだろうか?あるいはその効果は?そのことを問う人はほとんどいない。

- Right to defend yourself
自分を身を守る権利である、という議論である。これももっともな議論である。例えばこんな記事がある。

http://www.ncpa.org/press/nr080900a.html

テキサスでは銃器の携帯が許可されているが、そのことにより重大な犯罪が50%減少したという。殺人が52%、強姦が22%減だそうだ。実に興味深い。これは「撃つと撃たれる」可能性による抑止力が働いたためと思われる。だがこれでは核の抑止力と同じで、いわば必要悪といったわけで、いっそ銃のない世の中の方がよほど平和だと思うのだが...

かように銃規制の議論は難しく、日本人あたりから見ると実に不可解な議論なのである。

銃器の所持をライセンス制にするというのが極めて現実的なアプローチだと思うのだが、何故かこの銃規制と地球温暖化の話になるとアメリカ人はアレルギー反応を起こしてしまい、冷静な議論が出来なくなってしまうようだ。

こうして悲劇はまた繰り返されて行くのであろう。

バージニア工科大での史上最悪の銃撃事件

今、カリフォルニアの夜8時。
テレビを点けるとほとんどすべてのチャンネルでこのニュースをやっている。特番をやっているチャンネルもある。

犠牲者は32人。犯人は自殺。アジア系の人ということ。

アメリカに住んでわずか10年。すでに何度か銃声を耳にしたことがある。

アメリカの小学校では不審者が乱入した場合に備えての避難訓練が定期的にある。

そんな訓練が必要のない国に戻るには、あまりにも銃が多すぎ、また政治的な課題が多すぎるのだろう。



テレビのニュースも凄いが、ネットの反応ももの凄い。そしてそのことがとても興味深い。

"Virginia tech shooting" でブログを検索すると16日の夜8時の時点で12,290件が見つかる。

FacebookというSNS で"virginia tech shooting"を検索するとすでに600以上ものグループが作られている。なにやら「ネットで弔辞」といった趣なのだ。イラク戦争やハリケーンの犠牲者に対してはネット上で弔う方向でここまでの盛り上がりはなかったので、舞台がテック系の有名校といったことも関連があるのかもしれない。

バージニア工科大のweb ページにはこの事件についてのページが出来ている。
http://www.vt.edu/tragedy/

学長の会見なども既にpodcast で見れる状態になっている。

こちらは学生新聞のページ。すでに体験談なども載っており、ここが一番情報が多いようだ。
http://www.collegemedia.com/

あまりに平和な街で起きた、あまりに凄絶な事件。おりしもバージニアは吹雪に見舞われ、寒い夜も迎えているようだ。

犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

競争社会

自分は会社などにおける出世競争などがまるっきり嫌いなわけではないらしい。いつも気が付くとそういう位置に身を置いているので、多分どちらかというと好きなんだろうと思う。

しかし競争というのはとにかく疲れる。業績を上げ、それをアピールしつつ上司にも適度に媚び、競争相手の失敗をポジティブに批評しつつダメージを与えと、兎に角くだらない毎日なのだ。当然醒めてしまう日もあればイヤになってしまう日もある。負けてる時は最悪だし、社内政治の風向きで追いやられてしまう日もある。

長年こうした中に塗れてきたのだが、思わず「当たり前田のクラッカー!」と膝と叩いてしまうような記事にネットで出会った。(古いですかそうですか)sivadさんという方の「赤の女王とお茶を」というブロクにある「競争について子供に教えるべき3つのこと」「「強者」の必勝法は常に二つ」という2つの日記である。以下は「「強者」の必勝法は常に二つ」からの引用:

一つめ、「分割して統治せよ」。

貴族しかり、武士しかり、上位に位置する「強者」というものはその他の「弱者」の総和から見れば微々たるものです。つまり「団結した弱者」には敵わない*1。そこで、「弱者」をグループ分けし、できるだけ反目したり、見下しあったりするように仕向けるのです。


まったくこの人のおっしゃる通りで、俺なんか要するに反目し合ったり見下し合ったりしてる弱者なわけだ。そして俺の上司も部下も実は同様で、こうやって食物連鎖が続いているわけだ。

こんなことは分かっていたけど、こうしていざ文章で読むとますます日常が虚しくなるのであった。