自然=生きもの=意識でコントロールできないもの

梅田望夫氏のブログからリンクが貼られていたのでたまたま読んだ茂木健一郎氏の「クオリア日記」が面白かった。この人の本は以前読んでなかなか面白かったのだ。ブログも負けじ劣らず面白い。特に「生命とは制御できないもののことである」というエントリーがとてもよい。

生きものの定義を、「制御できないもの」としたらどうか。

 子どもは「制御不能」のかたまりである。
 大人になるとだんだん分別がついてくる。
 便利なようだが、それだけじゃあダメだ。


ここに書いてることは極めて当たり前で自明のことであろう。俺が思う自然の定義とは「意識でコントロールできないもの」である。地震や台風を見れば自明である。そんなすごい自然じゃなくたって、明日吹く風の強さも変えられないし、雑草を引っこ抜いてもまた生えてくるのだ。「自然=生きもの」と考えてもよかろう。なにしろハゲになるのも耳毛が生えてくるのもコントロールできない上に、一日の1/3は寝て過ごし、その間のことは憶えてもいないのだから。(えっ?耳毛が生えているのは俺だけですかそうですか)

子供とは自然であり、従って思い通りにならず、手間ひまがかかる、つまりは面倒くさいものなのだ。そして現代の日本人は頭でっかちになってしまったから、この制御不能な自然である子供どもがイヤなのであろう。少子化は当たり前の話である。

でもそういう大人たちも実はやはり自然なのだ。意識や欲望とはに関係なく腰痛を患い、シミだらけになり、病にかかり、白髪になり、歳をとって死んでしまう。

時々外に出て草むしりでもして汗をかき、自分が「自然=生きもの」であり、所詮は飯食って糞を製造するのが関の山の糞袋みたいなものだということを自覚してもいいのではないだろうか?